鹿児島でアレクサンダー・テクニークを学ぶ

2020年からアレクサンダー・テクニークを教えています

学びの本質

 

日本人が“人権”の意識に疎いのは
太平洋戦争の敗戦で与えられた
棚からぼたもちだったからだと思う

 

日本人は“人権”を考え抜いたことも
ましてや“人権”のために争い傷つけあい
国民全体が血を流したこともない

 

少なくとも太平洋戦争の意味と
戦後の日本人の“人権”に
直接的な意味も関係もないのだから…

 

 

先日ニュースで スターバックス社は
社内の人種差別問題に対して
アメリカの全ての店舗を一斉に半日閉め
社員への人権教育を行ったと伝えた

 

かの国では「“人権”は学ぶもの」であり
その内容をいつでもアップデートする体制が
準備してあって当たり前なのだろう

 

 

そして昨夜のテレビ朝日の緊急会見である
(たまたまNHKのネット配信をみた)

 

女性記者の受けたセクハラを
上司の判断で“もみ消し”
記者は週刊誌へ“リークし”
次官は逃げるように“辞任し”…
どれも個人の行動の正当性を述べたてるだけだ

 

これは“人権”に基づいて
話しがされていただろうか?

 

日本人は“人権”が与えられたものの
これまで社会でも日常でも積極的に
活用も運用もしないままにしている

 

おかしな働き方の推奨
子どもを育てにくい環境
横行するさまざまなハラスメント
それら“個人の権利”を蔑ろにした結果の
産業の衰退と経済の落ち込み…

 

戦後 半世紀をすぎて
棚から落ちたぼた餅は 干からび砕け
日本人は“人権”を学ばないまま
この国は おかしな方向に進んでいるようだ

 

いや むしろそれがいいのか…

 

全体主義だろうが個人主義だろうが
“和をもって尊し”とする日本人ならば
「考えるより合わせる」結果主義のほうが
ずっと楽でここちよく こころ安らかでいられる

 

 

“学び”には
つねに悪しき面を見つづけ変えつづける
“中腰”の胆力がいる

 

良いようになるための“学び”なら
結果がでたら そこで終了

 

発展や成長をつづけるなら
悪しき面にこそ宿るタネを見つけよう

 

それには「和」から外れて
現象が合わない事実を認め
合わないなりにつながる道を探せばいい

 

道を探し道を正す…
“学び”の本質である