鹿児島でアレクサンダー・テクニークを学ぶ

2020年からアレクサンダー・テクニークを教えています

こっちを卒業レポートにすればよかった?…わたしの考えるAlexander Techniqueとは

ちょっと喉が痛くてゴホゴホしています。

 

 昨日はAlexander Technique 11月の最終授業でした。月末には奈良で集中ワークです。

 金曜からの四日間、自分のカラダを観察していて、脊柱や肋骨や骨盤のグニグニしたねじれが、何度も意識に浮かび上がりました。そうなるとここまでやり終えてきた、カラダのポジティブな関係性が一旦崩れます。

 この3年の間、こういう風に再構築したカラダの関係性を壊し、また関係性を編成し直すのを何度も経験しました。

 今年の1月も風邪のような感じで、風邪をひいたのか無意識に風邪を利用したのか、そのあたりの無意識の駆け引きはよくわかりませんが、強い変化なのは同様です。

 あのときも嫌になるくらい、カラダのねじれや歪みを認識した覚えがあります。おそらく読んでるひとには「それが何なの?」だと思います。

 

 3年前と現在では何が違うかというと「生々しいカラダ」を感じられるようになった…くらいです。

 それは自分の認識で自分の脳がカラダを変えてくれるのを、何度も繰り返ししていくうちに、認識と実際のカラダがだんだん噛み合っていく経験です。そこに「思考」を介在させると、脳は認識をやめて「生々しいカラダ」は意識から消え失せます。

 じつはAlexander Techniqueは、自分で自分を調整するのを目的としています。ですから「意識的自己調整法」と呼んだほうがいいかもしれません。

 わたしは意識を「思考・感覚・感情」3つに分化して、3つの要素の調整がAlexander Techniqueの自己調整だと思います。リアルなアタマ(頭蓋骨)はひとつですが、意識は曖昧ながらも分けられると考えたいのです。

 しかし一般的な意識の認識には、せいぜい顕在意識と無意識くらいしかありません。

 そして実際の意識的自己調整では、リアルなカラダ感覚を通じて、顕在意識を観察し気づきを促します。

 わたしはATが好まれなかったり誤解されやすいのは、”無意識“というロマンやファンタジーをまったく扱わないからじゃないかと思っています。(ロマンの語源はロマンスで物語りの意)

 顕在意識にはほとんどロマンの要素はありませんから、ATはひたすら地道なワークですね。おもしろさは、実際にワークを重ねて実践していくとだんだんわかるんですけれど、時間が必要です。

 おもしろいかどうかはいまは別にして、ワークを重ね顕在意識と現実のカラダを扱っていくと、“自分の意識の背景”つまり無意識につながっていけるのです。回り道でも自分のカラダを通して無意識を見ていきますから「嘘がありません!」し、もちろんロマンのカケラもありません。見たくなかった自分にも出会えます。それもまた、興味深くおもしろい体験なのです。

 

それにしても、仙骨とその周辺が頸椎のAO関節に連動してイタい(涙) この2カ所の関係性は強いから、風邪ウィルスを利用してるんだろうなぁ♪

 

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